それなのに心臓は勝手に動いている

エッセイ、経験談、持論を綴るだけ。

イカれたパパを紹介するぜ!

パパ①

 

私はあの頃、数字を書く練習をしていたので

恐らく小学生に上がる前くらいのことです。

どうしても「8」が上手く書けなくて

パパに頭を叩かれました。

別によくあることでした。

ママはやめてよ、と言っていましたが。

当時無職のパパは私たちに

とても横柄な態度をとっていました。

ママはパパが働かない分、昼も夜も働きました。

私はママはなぜそんなに働くのか疑問でしたが

可哀想だ、と思っていました。

夜は20時頃にママが仕事に行き

帰ってくるのは深夜1時〜2時。

その間はパパと2人きりでした。

 

あまり記憶は曖昧ですが

パパが男友達を家に入れて、

幼い私にAVを見せたり、

あの頃は何が何だか理解ができませんでしたが、

性的虐待をされたりもしました。

仕事に行っているマッマは何も知りません。

私も、なぜだかその事を言い出すことができなかった。

 

暴力は頭を叩かれるだとかビンタされるだとか

大したことではなかったのですが

当時4、5歳の私には大柄なパパの手が

悪いことをした時でもそうでない時でも突然気まぐれで

自分の頭や顔に飛んでくるのが怖くて仕方なかった。

 

私は従い続けました。

数字が上手く書けないのも

ママが夜遅くまでかえってこないのも

体を触られ変なことをされるのも全部

自分が悪いのだと。

 

 

ある日の深夜、仕事から帰ってきたママが

私の頬が赤いことに気づきました。

ビンタの痕がくっきりと残っていました。

(今までのよくバレなかったな)

「パパにやられたの?」   私は頷きました。

そのあとすぐベッドで寝かせられましたが

ママとパパが言い合いをしてる声が聞こえました。

 

パパは数日して家を出ました。

 

 

 

パパ②

 

私が小3くらいでしょうか、

その頃居たパパとママの結婚式に出席しました。

初めて参加する結婚式が自分の親のだなんて

笑っちゃうんすよね

そのうち9つ離れた弟が生まれます。

何年後でしょうか、

パパが出会い系をやっていたことがママにバれ、

すれ違いが続いた両親の間に深い溝ができました。

程なくして離婚し、数年後にパパは病気で死にました。

 

今回のパパは割と子煩悩で沢山遊んでくれたし

私に危害を加えては来なかったので

このような結果に幼いながらに悲しく思いました。

 

 

 

パパ③

 

 

今回のパパは事実婚という形でしたので、

「パパ」とは呼ばずに名前で呼んでいました。

ですが立場的にはパパだったので

まぁまぁ慕ってはいました。

ヤクザみたいな顔してますが。

一緒に暮らしていたのですが

徐々に様子がおかしくなりだします。

早朝、私と弟の部屋に入ってくるようになります。

もぞもぞとベッドをまさぐられ

目を覚ますも状況が理解できないので

とりあえず眠ります。

次は深夜でした。

スマホであたりを照らしながら

またしても私のベッドのところに来ました。

私の足を触りたかったのかもしれません。

そして次の早朝、同じようなことを繰り返していたので私がキレちらかして家族会議になりました。

あとは私が家から追い出す形で

姿は見なくなりました。

現在もママは付き合いを続けているようです。

今は私も一人暮らしをしているので

同棲を再開したみたいです。

 

「あのクソ男とまだ付き合い続けるとか頭沸いてんじゃねーのか」とか

色々言いましたがそれでも変わらないので

本当にどうしようもないマッマですね

まぁ1番どうしようもないのは男なんですけどね!

 

男クズ!!!!!!!

どいつもこいつも娘に手出すとか

頭おかしいんじゃねーの!!!!

そのチンポコ切って献上しろカス!

 

 

おわり

 

抑制された自我の解放

私がODして入院した3日後が私の誕生日でした。

母の誕生日も近かったので私の病室で

2人でケーキを食べながら会話してた時のこと

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「室賀は小さい頃から今までずっとママの言うことに従ってきて自分の意思がなかったから、

これからは自分のやりたいことをやりなさい。」

 

「仕事で嫌な人がいたら我慢しなくていいって言ったら室賀は『どの会社もそんなのあって当然だよ』って言ったよね?それはママが今まで室賀に言ってきたことだよ。お前はずっとママの暗示にかかってたんだよ。」

 

「酒や薬に頼ってしまうほど辛いなら会社を辞めて少し休んだら?」

 

今までの流れとは違った諭され方をして

私は少しびっくりした。

…まぁ今回ODしたのは会社は全く関係ないので的外れといえばそうなのだが、

私が小さい頃から意思を抑制されていたのは確かだ。

私には反抗期が無かった。

反抗しても無駄だと思っていたし

反抗するほどの意志の強さもなかった

自分の気持ちを伝えたこともなかったから

「今でも何を考えているかわからない」、

「隔たりがある」

と、母の本音を初めて聞いたのだった。

 

 

私としては正直、

今まで親の意向に従ってきたので

道はいつも示されていた。

こうしたら、こうしなさい、と、

その生き方は自我を持つ必要がない楽な生き方だったのだ。

「選択」を提示し、「決定」するのはいつも母だった。

突然、その「決定」を自分がしなければいけなくなるなんて

私には酷く心細いことに感じた。

母は私を支配したがっていたが、

私は結局、それに甘えていたのだ。

それが一番楽で、「責任」が伴わなかったから。

 

もちろん母の意向でなくても、自分で決定することが全くなかったわけではない。

その時は「自分がこうしたいから」ではなく

「こうするのが最善」を選んできた。

どちらにせよ、自分の意思、自我がどこにもなかった。

これから先、生きてる中で選択をする場面がたくさんあるだろう。

私は「こうしたいからこうする」が出来るのか不安で仕方ない。

自我ってなんなんだ。

 

 

 

 

(最後までまとまらなかった)

テグレトールをODした結果

どうも、室賀と申します。

ここでは私が経験した

テグレトールの過剰摂取(OD)

について語ります

 

 

なぜテグレトールを過剰摂取したのか

 

人は誰しも「死にたい」と思ったことがあるはずです。

酒を飲んで酔った勢いが希死念慮を後押しさせ、持病のてんかんで処方されていたテグレトール200mgを10錠、酒で流し込んだ、ただそれだけです。

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テグレトールを過剰摂取したら

 

深夜、9%の缶チューハイで5錠ずつ、

全部で10錠のテグレトールを服用しました

そこから朝までの記憶はありません。

起きた時は土曜の8:00。

体が思うように動かない。

酒を飲んだ時の酔った感じではなく、

経験したことの無い感じ。

仕事は休みでしたが、テグレトール10錠で

頭がおかしくなっていた私、

「こんな体じゃ会社に行けない、休みの連絡を入れなくては!」

と、スマホを探すが、スマホが見当たらない。

スマホが見当たらないというのは、

どこかにいってしまって場所がわからない、ではなく、スマホを探す、ということができなかったのである。

そこからベットの上で目覚まし時計に手をのばすが、上手く掴めない。あげく、時計をふっと飛ばして電池がどっか飛んでいってしまった。

手すりにつかまることもできない。

あたりを散らかしながらスマホを探すことが出来た。が、文字を打つことが出来ない、というか、パスコードを打つことができなかった。

10分ほど格闘した末、上司に電話することができた。

私は薬の影響で呂律が回っていなかった。

 

「今日は室賀さんは休みの日だよ?朝っぱらから酔ってるの?(笑)□□さんに様子見に行かせるからね〜」と、上司。

 

わざわざ様子を見に来てくれるなんて

いい会社だなぁ…(しみじみ)

私はというと、相変わらず呂律が回らないので今の状況を伝えることも出来ず、そもそも自分がなぜこうなっているのかすらもわからず

どうしようもなく、電話を切った。

次に私が思い立ったのは

□□さんが家に来るから玄関の鍵を開けておかなきゃ!

自分のこの状態でピンポンが鳴ってから

すぐ玄関に向かうことが出来ないことを悟っていたからだ。

私はなんとかして玄関に向かった

立ち上がっては崩れ落ち、

膝を、肘を、腕を、顔を、体全部を

床にたたきつけながら玄関に向かった。

ベッドから玄関までは数歩で行ける距離なのに

足が前に進まない、進んでも足から崩れて立てなくなる。這いつくばっても進むことが出来ない。

数十分かけてなんとか玄関にたどり着き

そこから数分かけて泣きながら鍵をあけた。

助けが来るまで、せめて布団で安静にしたくて

布団に潜った。

数分したらスマホが鳴ったが、

スマホをとることもできないだろうと

私は諦めてそのまま横になっていた。

そのうちピンポンが鳴った。

ドアがあくと

男の人の声がした。

 

あれ?□□さんじゃない…?

 

□□さんは女性だ。

複数人の男の人が部屋に入ってきた。

あぁ、警察だ

私は瞬間察した。

きっと下か横の住人が私が部屋ですっころんだりした音を聞いてただ事ではないと通報したんだ、と。

そのうち救急隊の人も入ってきたが

返答することはほぼ出来なかった。

救急車に運ばれる途中、心配そうにこちらを

みる□□さんの姿が見えた。

あぁ…心配かけてごめんなさい…

 

入院生活

 

病院に運ばれ、入院することが決まり、

薬の影響で暴れまくったこともあり(?)1人部屋に通された。

入院して1、2日は1人でトイレにいくことも

ままならないくらいフラフラしていて、

焦点も合いませんでした。

 

ちな入院飯はこんな感じ

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比較的よかったやつ↑

 

入院して落ち着いてみると

あちこちアザだらけなことに気がつく。

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(グロ注意)(激遅注意喚起)

 

 

 

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これはテグレトール血中濃度を示す数値です。

24時間点滴を打ち続け、

2日で数値は落ち着きました。

 

私が飲んだのは10錠で

もう少し多く飲んでいたら胃洗浄をするところだったそうです。

10錠でも、あのまま通報もなく

救急隊がくることもなかったらどうなっていたかわかりません。

沢山飲んだとしても死ねる保証はありません。

下手すると後遺症が残ります。

 

 

テグレトールの過剰摂取はやめようね!

 

 

追記

テグレトール

900錠飲まないと死に至らないらしいです

(室賀調べ)