それなのに心臓は勝手に動いている

エッセイ、経験談、持論を綴るだけ。

死ぬために生きてんの

 

この記事を書いている今、約1年ぶりの缶チューハイ氷結無糖を飲んでいるのだが、あれだけ毎日のように飲んでいたのに全く好みじゃなくなっていた。

1年禁酒の理由は妊娠と出産であった。

以前まで子供は欲しくない派だった私は、自分の悪しき遺伝子の入った子供を作る気には到底なれなかった。

それに子供が出来れば自分の時間なんてなくなるし子供中心の人生になる。出産時の痛みもそう、想像を絶するほどの痛さなんだろう。

そもそも自分に子供を育てられるのか。

夫は最初から子供を欲しがっていたが、こういう言い方は本当に良くないけど私には子供を作るメリットがわからなかった。

「こういうのはメリットとかじゃなくて、感情の問題だよ。子供がいると楽しいだろうな、とかさ。」夫は言うが決め手に欠けた為私は「いらない」の一点張りだった。

 

出産を決めた理由

理由は3つだ。大した理由ではない。

1つ目は先程も言ったように夫が子供を欲しがっていること。

2つ目は高齢出産のタイムリミットが迫っていること。来年再来年の話ではないが私ももういい歳だし、年取れば取るほど様々なリスクが出てくる。出産するのなら若いうちにと思ったし、子供を作らず適齢期を過ぎてやっぱり作っておけばよかった…と後悔するのが嫌だったから。

3つ目は年を取って死ぬ時、私か夫、必ずどちらかが先に死んでどちらかが残される。その残された時に自分たちの後始末をしてもらう為だ。

この3つ目が私が見出した子供を作る最大のメリットである。

私は葬儀屋で勤めていて、独身の孤独死や子を成さずに亡くなった人の最後を何度も見てきた。その後始末は故人に妹や弟がいなければ少し遠い親族(甥や姪が多かった)が執り行う。そこまで故人に思い入れもないし最近まで会ってすらいなかった為に火葬式(通夜、告別式なしの火葬のみ)で済ませるのがほとんどだった。

喪主は面倒事を押し付けられた、という顔だ。

それはお金の問題ではなく、死に於いて発生する様々な手続き、処理などの後始末が面倒なのだろう。

私は死んだとしても誰かをそんな目に遭わせたくない。

いや、というよりも誰かに迷惑をかけたくない。自分の後始末を誰かに嫌々されたくない。

これが一番の理由だ。

(もちろん実の子供でも私たちの後始末をしてくれるとは限らない。その時は諦めよう。)

人生は満足して死ぬためのゲームなのだから、死ぬ時の準備をしておくのは当たり前だ。私にとって満足して死ぬために子供が必要だっただけで、別に子供がいなくたって結婚していなくたってパートナーがいなくたってそれ以外で満足して死ねる人もいるんだろう。孤独死したあの故人だってもしかしたら納得のいく最期だったかもしれない。それは絶対に否定はしない。人には人の死があるのだから。

 

 

妊娠編

出産方法は細かく色々あるが大きく分けて3つ。

自然分娩、無痛分娩、帝王切開だ。

元々出産の痛みが怖くて子供作るのを渋っていたこともあるので無痛分娩を選んだ。

会社の先輩が「子供はお腹を痛めて産むべき」とかなんとかぬかしおるが、うるせえ、産むのは私だ。

ただ私の産院は計画無痛分娩のみ取り扱っていたので仕方なくそれにした。

計画無痛分娩とは、分娩日をあらかじめ決めてその日に麻酔を打ち出産するということ。

そもそも出産というのは陣痛がきてお産に至るわけだが、その陣痛はいつ来るのかわからないのだ。計画無痛はあらかじめ決めた分娩日を待たずに陣痛が来てしまった場合無痛の処置をしてもらえず、普通に自然分娩で産まなければならないのだ。

そして自然分娩でも無痛分娩でも、母体が危うくなれば帝王切開となる。

つまり、無痛分娩を選択したが、自然分娩にも帝王切開にもなり得るのだ。

何がなんでも無痛分娩で産みたい私は妊娠中、重たい身体を引き摺って公園を毎日散歩した。

1日8000歩を目標に時にはイオン散歩したり、ヨガやストレッチしたり出産についての知識やTwitterでマタニティアカウント(通称マタ垢)のママ達の出産レポートを読みまくり、できる努力は全てやり尽くした。

その甲斐あって分娩日まで陣痛が来ることなく、無事にお産に漕ぎ着けたのであった。

ちなみに大したつわりはなかった。ただ食欲が本当に凄くて2人分食べているのを実感した。お酒が飲めない代わりに甘いものに走った為体重はみるみる増えていき、出産を迎える頃には11キロ増となった。(デ、ブ)

 

 

出産編

分娩日の前日入院し、子宮頸管拡張(ラミナリア)の処置を受けた。

前日から子宮口を徐々に開けていくのだが、子宮口を器具でカチ開けてそこにタンポンのような形状のラミナリアを5本入れる。それが血液や体液で膨らんで子宮口が開いていく仕組みになっている。その時はまぁ耐えれる痛さではあったが同日夕方、既に5本ぶっ刺さっているところに追加で5本。合計10本となり、私はというと追加のラミナリアが痛すぎて痛すぎて、昼までは若干出産ハイになっていたがテンション爆下がりで動くのが辛く、病室のベッドで打ちひしがれていた。その後トイレに行くと便器は真っ赤に染まっていた、泣いた。あとからわかった事だが、この時少し破水していたらしい。

 

次の日ついに出産当日!ラミナリアの激痛処置により子宮口は4センチ開いており順調とのこと。ちなみに子宮口は10センチ開くまで産めないのでなんとしても開かなくてはいけないのだ。

LDR室に移動する。LDR室とは、「陣痛・出産・回復」の頭文字をとったものである。その全てをこの部屋で完結させるわけだ。昔は病室で陣痛に耐えて、産まれそうになったら分娩室へ移動していたらしい。会社の先輩は、病室で浣腸をしてそのまま分娩室まで歩いたがために道中でうんち垂れ流してたらしい。いきむ時にうんちが出ないように事前に浣腸をしていたらしいが、今はそれもない。昔と今いろいろ違うんだねえ。

LDR室の真ん中にはベッドがあり、部屋はかなりリラックスできる雰囲気。ポムポムプリンキーホルダーとかテーブルに広げてはしゃいでた。

その後陣痛促進剤やら抗生剤やら打たれ、じわりじわりと陣痛がやってきた。そろそろ痛いかもと思ったあたりで麻酔して〜と懇願。

麻酔科の先生がきた。カッコイイ女医。私はベッドの上で横向きにダンゴムシのように背中を丸めて腰に「麻酔の麻酔」を打ってもらう。腰に麻酔とかクソ痛そうだけど全く痛くなかった。というか陣痛の方が痛かった。そして無痛の麻酔を打ってもらうと背中をひんやりした液体が通過していくのを感じて陣痛で暑くなっていた為うっかり気持ちよくなってしまった。

無痛の麻酔が効いてくると先程までの陣痛は全く感じなくなった。その後内診され、子宮口は5〜6センチとのこと。この内診というやつもママ達の出産レポでよく「痛いとされている処置」の1つだったが、全く痛みを感じなかった。普通にお喋りする余裕すらある。それから順調に子宮口は開いていき、次第に腰の痛みを感じてきた。これは麻酔でどうにかなるやつではない。赤ちゃんが骨盤を通るために骨盤が押され、動いている痛みだ。ここでテニスボールくん登場。こういう時は今も昔もテニスボールくんに皆頼る。立ち会いしてもらっている夫に腰をテニスボールを使って押してもらうと少し楽になった。陣痛には波があるので陣痛がきたであろうタイミングで腰も痛み出すのでそこで「はい押して!!」と合図を出す。冷静になると少し面白いけど現場はみな真剣そのものである。

しばらくすると「いきみたい」感覚が出てきた。うんちが出口まできていて踏ん張りたいみたいな感覚に近い。いきみたいというか、いきまずにはいられなくなる。勝手に力が入る。かなり赤ちゃんが下まできている証拠である。この時子宮口9センチ。「進みが早いね〜」と話している間に子宮口10センチ。いわゆる『全開大』だ。

それまで3、4人だった助産師さんの数が一気に増え、いつの間にかベッドは分娩台に変形していた。すげえや。陣痛で腰が痛くなったタイミングでいきむ。そのタイミングは私に繋がれた機械でもわかるのだが「陣痛きます!」の私の合図で私がいきむ、助産師さんたちが応援する、夫も横で応援する、の構図になっていた。

分娩台の上でお股おっぴろげで助産師さんたちに囲まれてて今考えると少し恥ずかしいが、出産を目前にするとなーんにも恥ずかしくないし、むしろ私のお股大丈夫!?確認してーーー!!という気持ちだった。一生懸命だった。

陣痛の波が過ぎると力を抜いて休憩、陣痛がきたらまたいきむ。5回いきんだあたりで「もう頭見えてますよ〜」と言われ次のいきむときには「会陰切開師」(私が名付けた)がクソデカハサミを手にスッと現れた。調理用ハサミの1.5倍くらいの大きさだろうか。おもむろに私の股にハサミを近づける。私の視点からは見えなかったが、「ジャキッ」という音と切られた感触だけがあった。会陰は赤ちゃんが通る最後の門。そこを切開してスムーズに通れるようにするのだ。メスでは切ったところから裂けてしまったりするらしくハサミのほうが適切に処置できるようだ。無痛の麻酔のおかげで痛みはなかった。それよりもいきんでいる時の方が痛い。陣痛の波が来て6回目のいきみのタイミング。これが最後のいきみだろうとめちゃくちゃ力を入れる。こーれが本当に痛い。流石に出産で1番痛かったかもしれない。出したくて力を入れるのに力を入れると痛くなる。気がつくとLDR室は7、8人の助産師さんたちがいて私のいきみに合わせて「もう少し!」「頑張って!」となんだか団結力あっていいねえこの空間…と必死にいきんでいる私とは別の冷静なほうの私はそんなことを思っていた気がする。

突然痛みが無くなって何かが身体から抜けていったと思ったら産まれていた。「産まれましたよ〜!」「頑張りましたね〜!」と助産師さんたち。…産まれた時って産声が聞こえるよなぁと思っていたら少ししてから「ホギャ」と聞こえた。とても控えめ。おしとやかな子だ。

赤ちゃんが色々処置されたり、会陰切開師がすぐさま切開した会陰を縫合している間もなんだかぼーっとしていて眺めているだけだった。

正直感動はない。痛みもないけれど身体は疲れ切っていた。

隣で立ち会いしてくれていた夫は「産まれたのに感動で泣くみたいなの無いんだ…?」と後日言っていた。

私は初産にしてはお産の進みが早く、4時間ちょっとで出産に漕ぎ着けたエリート安産でした。小柄なので2日かかる覚悟をしていたが拍子抜けだった。

あと、赤ちゃんの顔を見たら感動で痛かったことを忘れるというのは嘘。なぜその様にママ達が口を揃えて言うのかと言うと、それを言うのはいつも後日。そう、普通に出産の痛みを忘れているのだ。私もそう、あれだけ痛かった記憶はあるのにどのように痛かったかあまり思い出せない。もしもママ達が出産の痛みを鮮明に覚えていたら子供を二人、三人と作らないだろう。

私自身かなり痛みに弱い自覚があった為無痛分娩でやってよかった。

産後編も書きたいが長すぎるのでここまでにしておく。気が向いたら続き書きます。

 

Grazie!🇮🇹

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こないだ新婚旅行でイタリアに行きました。

海外に行くのは初めてだったので

大変だったこと、楽しかったことを書きます。

 

私が行った6泊8日のイタリア全部行くツアー

大まかに行ったところは

 

  1. ミラノ
  2. ベネツィア
  3. フィレンツェ
  4. チビタ・バニョレッジョ
  5. ローマ

でした。

 

 

 

長すぎフライト

まず言いたいのは

行きの飛行機、東京→ローマ(乗り換え)→ミラノ

だった為、16時間もかかって気が狂うかと思った。長時間のフライトが予想されるならエコノミークラスより上の席を予約したほうがいい。ガンダムもそう言ってる。

飛行機の後方にトイレとちょっとしたスペースがあって、(飲み物が置いてあったりする)そこで屈伸運動したりして気を紛らわしていたけど窮屈な席でずっと座ったままでいるよりはお金をかけてでも少しいい席でゆったり過ごすほうが絶対にいいと思う。席にモニターがついてたけどイタリアの飛行機だから見れる作品も少なくてすぐに退屈になって寝るにも限度があった。

どうせずっと寝てるだろうからエコノミーでもいいやと思っていたのが浅はかすぎた。

日本とイタリアではちょうど8時間時差があるのでイタリアに向かう間、体感ではもう夜なのに外は昼間で頭がバグる。日本を出た時は13時くらいだったから永遠に夜が訪れないんじゃないかと思うくらいに長かった。イタリアに向かうほど時間がプラスされていく。(伝われ)夜なのに外が明るくてなんだか昼寝みたいで寝る気にもなれず……ちょこちょこ寝ては起きて、機内食食べて寝て起きて…を繰り返した。(かなり疲れた)

 

これは機内食。ワインも飲める🍷

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深刻なトイレ事情

空港はともかく、それ以外のパーキングエリアやお土産屋さんのトイレはほぼ有料。

1回用を足すのに€5かかる。(私が行った当時の日本円でいうと800円くらい)

イタリアの至る所に「BAR」(読み方:バール)と書かれた看板があるのだが、日本でいうカフェや喫茶店のようなものであり(だが必ずお酒も置いてる)、こういった飲食店で注文して店内で食べる場合はトイレを使えるのでどうしても外でトイレに行きたくなったらコーヒー1つ分のお金はかかるが、使用可能だ。ちなみにテイクアウトの場合は使えない。

 

ただ行く場所全て観光地。つまり観光客が多い。そこにあるトイレは当然汚い……。

ローマのマックのトイレはまじでやばかった。トイレにいくには、食べ物を注文して、レシートを別にある受付に出し、QRコードの書いた紙を受け取る。トイレの入口にある改札にQRコードを翳すと改札が開く…という仕組み。

(これらの説明がどこにも書いて無いのでそれがわかるのに30分くらいかかった。他の海外の観光客もわからずみんなで顔を見合せていた。)

そして全てのトイレは当然汚く、男子トイレは便座すらなかったという。(どういう状況??)

トイレが無料で清潔なのは日本くらいらしい。

 

 

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便器の横にある便器のようなもの。これはイタリア人がおしりを洗う用の便器である。そう、ウォシュレットがないのだ。便器が冷たいのなんか当たり前。

便器の中に水を溜めてジャバジャバ洗うっぽい。使ってるのを想像すると面白い。私はもちろん使わなかった。そしてこんなにも綺麗なトイレはホテルと空港だけだった。

 

 

働く者が偉い

どうやらイタリアでは店員のほうが偉い…とまではいわないが、少なくとも日本のような"お客様は神様精神"ではないことが態度でわかる。

レジ中も店員同士でペチャクチャ話してて正直不快だった。なんかイタリア語で私たち観光客の悪口を言っている気がする(被害妄想)

ここでもやはり日本とのギャップに驚かされるのである。帰りの飛行機を待つ空港内でハンバーガーを食べようと立ち寄る。店員のお姉さんはやはり高圧的。やっとの思いで注文したのはいいが、30分経っても一向に呼ばれない。キッチンやレジを見てみるに、あまり忙しそうには見えない。だが、もう帰りの飛行機の時間が迫ってきていた。これは勉強不足なだけだが、文句を言いたくても言葉が出てこないのだ。もう店員さんと接するのも怖いし。結局、ハンバーガーを諦め、ブザーをテーブルに置いたまま搭乗口に向かった。無念。英語ならまだ闘えたかもしれない。

 

 

 

 

星のついたホテル

ホテルが超☆可愛いかった

どこもかしこもホテルの看板には☆が並んでいて、五つ星だの四つ星だの謳っていたが、なるほど部屋の作りはどこのホテルも可愛いくて、ベッドもふかふかでまほちゃん気に入りました!

壁が薄いのと、朝食のサラダにドレッシングがないことを除けば大変満足でした。

イタリアってドレッシングないのかな。塩とオリーブオイルで食べた。

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食べ物

私の参加したツアーで1日1食は、ツアー会社が手配した料理が出ましたのでその中でおいしかったもの↓

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▲肉はまほの顔くらいある大きさ。ツアー参加してたおじいちゃんが貪り食ってて引いた。美味すぎた


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ペンネ


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▲ピザはふかふかでめちゃデカイ

味は正味ドミノピザのが美味しい。すみません、アメリカ行けって話ですよね。でも食べる価値はあります。デカくてオモロいので。

 

日本だとピザはデカいの1枚頼んでみんなでシェアするけどイタリアではデカいの1枚を一人で食べるらしい。日本人がピザを分け合って食べているのを見られたもんなら、「お金が無くてみんなで分けて食べてるのかな、可哀想に」と思われるのでイタリアではしないように。恥をかきます。

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▲顔よりでかいピザ

 

ツアーの食事ではなく、自由時間に食べたもの↓

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▲海鮮盛り盛りの唐揚げ?フリッターみたいなやつ

 

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ペスカトーレとなんかつまみ

 

席に着くとお通し的なノリでパンがどこの店でも必ずでてくる。

まほはご飯派なのであまり手をつけなかった…。

日本食大好きなので味噌汁とカップ麺を持って行ったけど、全然足りなかったのでローマのラーメン屋さんに行った。

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▲豚汁


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▲ローマのラーメン

RAMEN BAR AKIRA

 

ローマのラーメン屋さん、とてもありがたかった。しかもちゃんと美味しかった。帰る時ご馳走様でした〜と言ったら「アリガトウゴザイマシタ〜」とイタリア人の女性店員さん。イタリア語が出てこないイタリア人、あったけぇし、なんか嬉しかった。

 

 

 

 

イタリアに持っていくならコレ!

イタリアに行くなら日本の水たくさん持っていった方がいい。向こうでは基本硬水しか売ってない。日本人の身体は硬水があまり合わないのでお腹痛くなったりする。10本はあればよかったなと後悔。水なんて飲めばなくなるし帰る頃には無くなってるので荷物になるのは行きだけ。

あとは味噌汁、カップ麺などの日本食をもっと持っていけばよかった。全然足りなかった。

そして最後に、ドレッシング!!!絶対に持っていくべき!!!イタリア、生野菜よく出るのにドレッシングがない!!!オリーブオイルと塩で1週間食べてた。辛かった。

 

 

 

スリ対策

イタリアはスリが多い。レストランに入っても決して油断してはいけない。ポッケに財布なんて格好の的である。首から斜めがけカバンがマストだが、チャックに細工するともっと安心である。

安全ピンでチャックとチャックを留めてあげれば、カバンを取られない限り、開けるのに手間取るし、はなからターゲットになりづらいだろう。

 

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▲こんな感じ

 

パスポートやちょっとした現金などの1番大事なものはインナーの下に身につけられる薄いセキュリティポーチなるものを買うのをオススメする。

 

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▲こういう薄ーいやつ

 

 

スリをするのは男性ばかりとは限らないらしい。

女性3人でターゲットに近づき、あっという間にカバンを取られ一目散に逃げていくんだとか。女性だからと安心もできない。

 

ツアー側で用意したレストランに行った時「以前このレストランで食事をしている最中にカバンをスられたお客様がいました」と言われツアー客同士顔を見合せ、カバンを太ももの下に敷いて落ち着かないまま食事をした。私は不安すぎて四六時中カバンに手が触れている状態で1週間過ごした。

スられれば楽しい旅行が台無しになるのでスリ対策は絶対にしよう。

 

(日本に着いてもしばらくカバンから手を離すのが怖かった)

 

 

 

チップ

店のテーブルで飲食する際は、最初から最後まで1人の従業員が担当で配膳をしてくれる。そして帰り際にはその従業員に対してのチップを置いて帰らなければならない。お店に雇われている従業員は月給が8割くらいしか支払われない。残りの2割は客がチップを置くか置かないかで決まるのだ。だから我々のような観光客がそれを理解してくれているのか気が気では無いようだ。チップ代も含めて飲食代だということにしよう。従業員の生活に直結しているシビアな問題である。

 

チップの額は2人で飲み食いして€3〜€5。お客が席を立って真っ先にテーブルにチップが置いてあるか確認する従業員。ほんとかわいそう。みんなチップ置いてあげようね。

 

 

 

イタリアで1番よかった場所

1番良かったのはやっぱり水の都ベネツィア

私の参加したツアーはベネツィア本土に宿泊できた。その分金額は少し上がったが、その価値は確かにあった。

 

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船で本島へ

ベネツィアの本島は車の立ち入りは禁止。道は基本的にホコ天。車の代わりに島の中に張り巡らされた水路を船で移動。物流、タクシー、救急車に至るまで全てが船なのだ。

 

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▲どこを写しても可愛い街


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▲運河をゴンドラで巡る

 

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▲色んなところから撮ったやつ


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サン・マルコ広場

 

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▲リアルト橋

Overwatchでお馴染みのマップ「RIALTO」。

実は地名じゃなくて橋の名前なんですねえ。

 

 

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▲朝早起きして街を散策。こんななんでもない路地裏やただの民家すら全部可愛い、写真を撮っても撮っても可愛いのキリがない。

 

 

 

地盤沈下や海面上昇の影響で100年後には海に沈むかもしれないと言われているベネツィア

いつかもう一度行きたいくらい気に入りました。

 

正味ベネツィア以外も全部よかった!ここでは詳しくは紹介はしないが、チビタ・バニョレッジョという田舎にある小さな村。あそこもよかった。ローマとかフィレンツェと違って名前を聞いたこともなったし、期待してなかったしバスでかなり時間かかったけど行く価値はあった。

イタリアどこもフォトジェニックでご飯も美味しいワインも美味しいで最高だった。

次行く時は戦えるようにイタリア語をもっと勉強していきたい。

「注文間違ってます」「時間かかりすぎ」「トイレ借ります」をマスターしたい所存。

 

 

おわり

 

人に裏切られたことなどない。自分が誤解していただけだ。

 

 

これは生まれ育った北海道から関東に移住し、1から友達を作ろうと孤軍奮闘したとある女の情けない話である…。

 

 

 

 

彼女と出会ったのは友達募集ができるとあるサイトで「同性のみ」で募集をかけたところ、メッセージをくれた子である。

 

名前はまこ。

すぐに意気投合したのでLINEを交換、お互いの予定が合う時に遊ぼうねとメッセージを交わした。

彼女と気が合うな、と思ったのは

まず文章上でのテンションが自分と合うなぁと思ったのと、クソハムちゃんスタンプを使っていたことである。

まほはクソハムちゃんが大好きなのだ。

 

クソハムちゃん

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彼女の方からクソハムちゃんスタンプを使ってきたのでめちゃくちゃ好印象だった。

同じ町に住んでおり、新しく出来たカフェに行こうとメッセージでやり取りをした。

何度か予定のすり合わせをしてついに遊べる日程を組み、当日。

 

数日前に約束をしたので当日の朝に何かメッセージを送ろうか迷ったが、やめた。

(今日遊ぶ日だね!よろしく‼️😁的な。)

 

のちに、この時メッセージを送っておけばよかったと後悔することになる。

 

当日は駅まで私が迎えに行って、

そこから私の車でカフェまで行くという段取りだった。

駅に向かう車内で、まず何から話そうかな。

メッセージではあまり何も聞いてないので

逆に話すこと沢山ありそうだな。

彼氏とかいるのかな、休みは何してるんだろう、ていうかどういうビジュアルなんだろう。とか色々考えたし、わくわくしていた。

 

そして駅に到着。そういえば駅のどこで待ってるんだろう(東口とか西口とか)と思い、

LINEを開き、メッセージを打った。

 

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しばらく経っても既読がつかないこの辺りから嫌な予感がしてきたので

通話をかけてみたがやっぱり出ず、

まぁ今になっても既読がついていないこのスクショで察したことでしょうが、

まこは待ち合わせ場所には来なかった。

 

確かめずにはいられなかったので

LINEをブロックされているか確認する裏技があるのでそれで確かめると、やはりブロックされていた。

 

その時になって初めて、そういえば約束以外の話何もしてないな、とか住んでるところ聞いても◯◯駅の近く!と濁されたりしたこととか色んなことが脳裏を過ぎって、悲しいと思う前に勝手に涙が出てきて自分でもびっくりした。

 

そのあとは相方を呼び出して、まこと行く予定だったカフェと居酒屋に行って酒を浴びました。

 

 

 

まこ、

いや、あなたは"まこ"じゃないのかもしれない。

女性ではないかもしれないし

女性であって、行く気があったけど当日に萎えてしまったか、そもそも行くつもりなど無かったのかもしれない。

どんな理由でもいい。

ブロック解除して、またLINEを送ってくれないか?

そしたらその時はまた会う予定を立てて、今度こそ会おう。ガチバトルしようじゃないか。

とりあえず会った瞬間殴っていい?

話はそれからだ。

 

 

死ねない病気

 

 

 

初めての発作は中学2年の給食の時間。

近くの人と机を合わせて

まさに「いただきます」をしようとした時だった。

もうそのあたりから意識がないのだけど、

私が椅子に座りながらもふらふらしているのに

気が付いたクラスメイトが私に声をかけようとした時

椅子から転げ落ちて額を床に打ち付けたらしい。

目が覚めた病院でそのことを聞いたのだが、

まさにその打ち付けた額がじんじんと痛むことから

その話が本当であるとわかった。

 

 

 

 

 

 

私の病気はてんかんだった。

100人に1人がてんかん患者らしい。

皆さまの身近にも

てんかん持ちの人がいるのではないだろうか。

決して珍しくない、身近で、

誰でもなる可能性のある病気だ。

冒頭のお話通り、私のてんかんは後天性だ。

 

脳に何らかの障害があったり、

生まれながらのものではなく、原因不明。

いつも通りの生活を送っていたら突然発症した。

 

 

 

 

 

てんかん発作の症状は様々だ。

意識がはっきりしている人もいれば

うつろな意識のままウロウロ動き回る人もいる。

 

私の場合は、強制シャットダウン状態。

突然意識がなくなる。

直立した状態で発作が起きれば、

手で受け身をとることもできずにそのまま床に倒れる。

 

もしも高いビルの屋上で発作が起きたなら、

私は文字通り手も足も出ずに

地面に真っ逆さまである。

 

あとは手足のけいれんや硬直。

意識はないのにガクガクと震え、

ぐっと歯を食いしばっていたり、

蟹のように口から泡を噴いて

倒れていたこともあったらしい。

 

そんな衝撃的なぶっ倒れ方なのだが、

この発作によって大事に至ることはほぼないという。

 

危険なのは二次被害だ。

ビルの屋上の例え話もそうだが、

一番よく聞くのは、車を運転しているときだ。

 

 

「アクセルを踏んだまま意識を失い、

人の列に突っ込んだ。

運転手はてんかん患者だった。」

 

 

こういう報道をみるたびに

自分も加害者になりうる身であることを痛感する。

自分1人がケガをするならまだしも、

人を殺してしまうかもしれない。

私も含め、てんかん患者は

もうほんとうに嫌というほど、

病院の先生や周りの人間にそう言われてきた。

 

 

そのため、てんかん患者が

免許の取得、免許の更新する際は

 

てんかん発作が二年以上なく、

運転をしても差し支えない」

 

という診断書を医者からもらい、

提出することが義務づけられている。

 

とはいえ車を運転する者がてんかん患者だと

やはり心証が悪いらしく、

警察署に診断書を提出に行ったとき、

受付の女の人の訝しげな顔に

『 本当に大丈夫なんですか? 』

と書いてあったのを覚えている。

 

 

 

てんかんに特効薬は令和3年現在はない。

だが、発作の度合いによって決められた

適切な量の「抗てんかん薬」を服用することにより

発作を抑えることができる。

私の場合は1日2錠。

 

てんかん薬は様々な副作用があり、

朝1錠、夜1錠を服用していた私は

特に眠気が酷かったため、先生と相談して

最近は夜2錠にしてもらっている。

 

(あとは夜更かしや生活習慣の乱れからも

てんかんの発作が引き起こされることがあるという。)

 

 

読者諸君には、どんな薬でも

用法・容量を守って使用して頂きたいのだが、

てんかん薬をうっかり10錠飲んでしまった時の記事はこちら↓

muroga.hatenablog.com

 

たった10錠飲んでしまっただけで

えらいことになるので、

薬に詳しくはないのだが、

素人目でも結構強めな薬なのかなと思う。

真似しないように。

 

 

 

(そういえば

副作用で個人的に面白かったことが一つあって、

私は朝の車での通勤の際に

毎回音楽をかけていたのだが、

たまに、半音?ワンオクターブ?低く感じる時があった。

当時はなんだろうなと思いながらも

特に気に留めていなかったのだが、

最近、それについて調べたところ、

どうやら抗てんかん薬を服用した時に起こる

原因不明の副作用らしい。)

 

 

 

 

 

毎日薬を飲むことを習慣にしていても

人間なのでどうしても忘れてしまうことがある。

私は学生の時期は特に忘れっぽく、

何度も飲み忘れてはぶっ倒れていた。

 

( 救急車のサイレンの音で目覚めては、

「救急車って車内めちゃくちゃうるせえ…」

の経験を5回以上した。 )

 

てんかん患者が自身で徹底するのは

もちろんのことだが、

周りの人が病気のことを理解し、

支えてあげる必要がある。

 

私の場合だと、例えば新規で会社に勤めてすぐに、

てんかんに関する資料を提出するようにしている。

仕事中に発作が起きてしまったときの対処法や

てんかんはこういう病気であるという説明をする。

 

あとは、私は忘れっぽいので

私が薬を飲んだか周りの人に逐一確認をしてもらう。

そうすることで飲み忘れを防止できる。

 

飲み忘れを防止できれば

倒れることはないのでね。

 

 

 

最後に、皆様の身の回りで、

(私のような完全気絶型の)てんかん患者が

発作を起こした時のための心得をお教えする。

 

 

 

 

 

・安全な場所へ移動させる。

 

てんかんは、突然やってきます。

車通りが激しい場所や、

入浴中の発作は放置すると危険なので

まずは安全の確保をしてください。

 

 

 

・まず落ち着いて観察する

 

発作が起こると驚くとは思いますが冷静に。

発作が始まった状況、時間、

どういった症状かをよく見てください。

けいれんがすぐに治まったら

とりあえず様子を見てください。

発作後は深く眠りにつくことがあります。

けいれんが5分以上続くようなら

救急車を呼びましょう。

 

 

 

・むやみに動かさない

 

発作はあなたが何かアクションをしたからといって

収まるものではなく自然に収まるものです。

大声をかけたり体をゆするのはやめましょう。

食事中の発作であれば、嘔吐をすることがあります。

その際は体を横にしてあげましょう。

窒息を防ぐことができます。

 

 

 

この3つさえ押さえれば大丈夫だと思う(多分)

私はてんかん患者の発作を見たことはないが、

私が倒れて、意識が戻るとだいたい周りで

誰かしら泣いていた記憶があるので、

結構ショッキングなことなのだと思う。

とにかく落ち着いて行動するのがいい。

発作で死に至ることはありませんから。

 

 

てんかん持ちの人間は多分、

この病気の発作によってもたらされる

迷惑を許されていない。

事故を起こすことも自分が死ぬことも

人を殺すのも、きっと許されていない。

 

薬飲め!

てんかんのひと、薬飲め!💊

 

 

 

私はもう数年発作が起きていないが、

それは薬をしっかり毎日飲んでいるからであって、

薬を飲み忘れれば必ず発作がくることを

これからもしっかり意識しながら生きていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

箱出る娘



私が小学生の頃、叔母は高校生だった。
当時の叔母は絶賛反抗期で
親の言うことなどまるで聞いていなかったし
手下である私も顎で使われ
(↑まぁこれはオーバーなたとえである)
この人間に血は通っているのか?と
何度も疑問に思ったものだ。



この間、久々(でもないが)に祖国に帰った時のこと。
叔母は今や立派に成人し、結婚し、3人の息子を育てている。
末っ子は私の顔をみるなり泣き出すのでそれを叔母がなだめる。
自分のことしか考えられず親に歯向かっていた
高校生の頃の叔母の面影はない。

子供って、いつか大人になるんだ…


冷静に考えたらこれって超すごいことだなと
今まで生きてきた中で幾度となく見てきた
まるで道端に転がっている小石のような出来事に
私はビビり散らかしていた。





「親が子供の面倒をみるのは義務である、
それができないなら子供なんか作らないほうがいいし
大学通わせるまで面倒がみれない親をもつ子供は不幸だ。」

ここまでは私が子供の考えだ。

それはそうなのだがそれにしても親ってすげえ。


大人の、
生活費やら税金やら色々やりくりしなきゃならん金のことだとか
職場では色んなストレスがあるだとか
パートナーとの関係を良好に保つだとか
そんなの子供の私は知らなかった。

蛇口をひねれば温かいシャワーがでるのは
水道代とガス代を払っているからこそなのだ。





そういえば私が小さい頃、
確かに裕福ではなかったが
食べることに不自由したことはなかった。

だがやはり子供は何も知らない。
大きな一軒家で暮らす友達の家に行くたびに
どうしてこの家に住んでいるのは私ではないんだろう、だとか
他の子よりお小遣いが少ないのが嫌だ、とか
身勝手に不自由さを感じていた。

あと学校が嫌いだし勉強も嫌いだし早くお金が欲しかった。
それゆえ高校を卒業してすぐ就職した。
早く独り立ちをしたかったのだ。
お金が欲しかった、親から離れたかった。
初任給をすべて母親にあげたのは
私はあなたよりすごい大人になったぞと
誇示したかったのかもしれない。
あなたの手なんか借りなくても
私はやっていけるんだ、と。


そんな当時の私は
自身の境遇を嘆いていた小さい頃の私から
全く成長していなかったのだな、と
今になって思う。
(第一、高卒の初任給など
たかが知れているというのに
むしろ恥を知れ当時の私よ)

自分が大人になれたのは
結局は親のおかげであったというのに。






ではいつになったら子供は
「大人」になるのか

”子供に戻りたいと願った時
既に大人である”

というのはよく聞くが
私は「自分の面倒を自分で見れるようになった時」が
大人になった時だと思う

今まで親にやってもらっていたことを
全て自分でできるようになったとき。
例えばご飯を作るだとか1人暮らしをするだとか
これらの生活するにあたって発生する出費を
自分で工面できる程度の金を稼ぐとか
正直これをできているだけで
みんな大したもんだよと言いたい。

だが更にすごいのは、自分だけでなく
子供の面倒もみるということ。
大人になるまで支えて
立派に1人立ちさせることができたなら
それはもう凄くすごい。
偉業と言ってもいい。


子供が大人になるということは
当たり前で、些細な出来事で、
誰もがそうでなければいけない

"道端に転がっている小石のようなこと"であるが
当たり前なようで当たり前にできることじゃない。







しかしなぜ私がこんな記事を書こうかと思ったのかというと
叔母の成長も然り、
私自身が今のパートナーと一緒になることを決めた時、
母とまともに初めて腹を割って話し合ったからである。

以前下記の記事でも述べたかもしれないが
muroga.hatenablog.com

私は多分他の人よりも自分の意思を抑制されていた。
その代わり私の道は母の「選択」により
いつも決まっていた。

自分で何かを「選択」したのは今回が初めてで
その時の話し合いが私の人生の分岐点だったのだ。




小さい頃から親戚のおばちゃんたちに
「箱入り娘だねぇ」とよく言われた。

「箱入り娘」の意味は
「お嬢様」、「極力他人に接触させずに
(家の中などで)育てられた娘」を指す。

一方悪い意味では
「世間知らず、一人では何もできない子供」
を指すこともある。

もちろんお嬢様ではない私は
後者の意味であることを子供ながらに理解していた。
しかし、「選択」をしなくてもいい生き方に慣れて
「これでいい」と思ってしまっていた。
私が何かしようとすると、
「本当にできるの?」と訝しげに聞いてくる母に
自信のない私は俯くしかなかった。





「自分の面倒を見れるようになったら大人」
であると同時に
私にとっての「大人になる」ということは
自分の意思を持つこと、
選択をすること、決定すること、つまり
母親から卒業すること」だった。


今現在の環境を作り上げたのは
他でもない私であり、
パートナーの協力と
母が私を認めてくれたことにある。


もちろん、母は親なので
親としての責任がある以上
私がどこで何をしていても
なにかやらかしたらその責任を負わねばならない。

でもこれから先、母の手を煩わせることは
以前より少なくなるのかなと思う。



まぁ数年経って
パートナーと大喧嘩でもして
突然実家に帰ったとしても
きっと受け入れてくれるだろう、親だから。








おわり

私の夜

毎日夜の8:00頃になると、
母がせっせと布を巻き始める。
洗濯して、柔軟剤のいい香りが漂うその布が
母の手でくるくると綺麗に巻かれ、
同じ形を成していく。
毎回それを私は傍でじっと見ていた。


当時の私は、それが何のために使われる物なのか
知らなかっただろう。
母は昼も働き、夜も働いていた。
綺麗に同じ形に巻かれていたそれは、
母が夜働いていたスナックで使うおしぼりだったらしい。

これは私が小学生になったくらいの話だ。
きっと1年生くらいだと思う。


小学生に上がる前にその時居た父は家を出て、
(詳しくはこちら)
muroga.hatenablog.com
(父は元々働いていなかったが)収入源が
母頼みになった当時は、昼も夜も働かざるを得なかったのだと思う。
(本当に感謝している。)

私もそのことはなんとなく理解していて
夜、仕事に行く母を玄関で見送る私は
まるで飼い主が出かけるのを
寂しそうに見つめる子犬のように母の目には映ったであろう。
だが、そういう子犬は大抵、
飼い主が出かけた瞬間に先ほどの寂しそうな目はどこへいったのか、
と言いたくなるほどに部屋を荒らしたり好き勝手行動するものだ。

夜の時間こそ私だけの時間。
私もまた、そんな子犬のように
もう好き勝手にしていた。
夜なのにお菓子を食べたり
夜なのにアニメを観る。
特にジブリが好きで
となりのトトロ魔女の宅急便紅の豚等。
毎晩毎晩毎晩、同じビデオテープをローテーションで再生し、
その画面を食い入るように見ていた。




ある頃から私の夜に変化が起こる。
いつからか、なぜそんな行動をするようになったのか、
よく覚えていないが、
私は夜の徘徊をするようになった。
帰れなくなったら困るので自分の家の周りを
人目を避けるようにしてうろうろと
特に目的もなく、ただ長い長い夜の暇つぶしとして。
当時私の家の近くに、ケーキ屋がありました。
家の周りは住宅街でしたから、
街頭と、自動販売機と、ケーキ屋の光だけが
目に入ってくる情報のすべてで、
ケーキ屋の室外用殺虫機(ライトでおびき寄せて感電して虫が死ぬ装置)に虫が寄ってはバチバチと鳴る音が静かな夜に、しかも小さい子供が深夜徘徊しているそのうしろめたさにひどく響いたことは今でも鮮明に覚えている。


夜も更けると、ケーキ屋は店じまいして
あたりの夜の色はますます深くなった。
犬の散歩をする人やランニングをする人。
昼間ならなんとも思わないことにも敏感になって
私は影に身を隠したりした。


ある時、道路の淵を歩いていると
前方から眩しい光と一緒に女性が声をかけてきた。
車に乗った女性は1人でとぼとぼ歩く私に
助手席の窓を開け、

「どうしてこんなところを歩いているの?」

「歩いていたら迷子になった」

今考えてみると、いや、当時の自分でも
答えになっていないな、と思ったであろう。
でもそう答えるしかなかった。


車にはあと二人ほど男女が乗っていて
その人たちは私の母の知り合いだと言った。
母の元へ連れて行ってあげるから、と
言われるままに車に乗り込み、
確かに母の職場の方向へ向かう車の中で
母になんと言ったらいいものか、と
そればかりが頭の中でぐるぐるしていた。
(ちなみに誘拐など全く考えもしなかった)


母の職場に到着すると既に連絡を受けていたらしい母が待ち構えており、
車は私を降ろすなり、すぐに走り去っていった。
私はと言うとまあこっ酷く怒られた。
昔から表情の変わらない私は
母からすれば反省しているようには見えなかったであろう。
怒っているはずの母は泣いていた。


次の日から母は夜の仕事に行かなくなり、
私の夜は訪れなくなった。



十数年経った今、私は一人暮らしをしている。
夜は自由だし何をしてても怒られない。
でも、あの頃のように深夜徘徊はしていないのだ。
あれほど焦がれた夜の外に私はもう行かない。
スマホを開けばインターネットがあって
動画も音楽もゲームもできる。
幼稚園児ですらゲームや動画に釘付けだ。
色んなものが普及した現代に、
夜の散歩の楽しさが勝ることはないのだ。

あの頃の人目を避けてうしろめたさを感じながら徘徊するあのスリルは確かに胸の奥がウズウズするほど、楽しかったのだ。
今ほど便利じゃなかったあの頃に置き忘れたなにか。


街頭や自動販売機やケーキ屋の光しか
目に入らない何も知らない者はもういないだろう。

私もまた、現代の流れに流された漂流物の一つだ。
現代社会の恩恵と引き換えに何か大切なものを
失ったように感じてならない。

冷蔵庫に眠らせる。

 

 

定時きっかりで帰り支度をし、タイムカードを押す。

靴を履きながら雑に押されたカードには「17:06」と印字されている。

玄関の扉を開けると労働の呪縛から解かれた解放感とは相反して

一月は冷たい空気だった。

いそいそと帰宅する途中にあるセイコーマート

週2くらいで通うそのセイコーマートに入店する私はもはや導かれているように思えた。

 

私はここでいつも「安らぎ」を買っている。

大した量買わないのにかごを持ち、一直線でアルコール飲料のコーナーへと向かう。

黒いからだにまとった金色にきらきら輝くそのラベルには

「DANTI」と書いてある。

これが、私が最近ハマっているスパークリングワインの「ダンチ」である。

本来は「ダンティ」と読むのだろうが、

私はふざけて「ダンチ」と呼んでいる。

 

 

1人暮らしの家に帰ると冷えた部屋が出迎える。

ストーブを付け、洗濯ものを洗濯機にぶちこみ、すぐシャワーを浴び、

浴室から出るころには部屋が温まっている。

晩御飯を作りながら合間に洗濯ものを干す。

自称「効率厨」の私のルーティーンである。

これらはすべて晩御飯とともに頂く「ぽしゃけ」(お酒)の為だ。

 

晩御飯の用意が出来たところで

プラスチックでできた金具を慣れた手つきで外し、

コルク栓を回しながら上へ引っ張ると

ぽんっといい音をたてて抜ける。

これがぽしゃけぱーてぃーの開幕の合図である。

 

とはいってもばかばか飲むような飲み方は休日の前の日にするものであって、

こんな平日の日は瓶の半分くらい飲んで

あとは次の日にとっておくのが嗜みというもの。

一日経って炭酸が少し抜けたダンチは炭酸で紛れていたアルコールが

前日よりも強く感じることができてこれはこれでいいと気づいたからである。

(ダンチに香りはあまりないので香りが削がれるという心配もない)

アルコール度数は11%なので瓶の半分でもほろ酔いで眠りにつくには十分だ。

ばかほど飲めば記憶がなくなったり情緒が不安定になって

楽しくなったり悲しくなったりする。

だが、自分の中の「適量」さえおさえてしまえば、

その日一日、自分の頭を駆け巡った様々な感情が無に還る。

ぽしゃけぱーてぃーが、一日の「リセットタイム」になるのだ。

大体お酒を飲むと何も手につかなくなるので

自然と体は布団へ誘われすぐに眠れる。

これがアラサー女のしがない一人暮らしの全貌である。

兎にも角にも、今日を終えようとしている私は

明日の私にバトンを渡さなくてはならないのだ。

明日の私が苦しくならないよう、今日も私は半分まで飲んだダンチを

百均で買ったワインボトルキャップで蓋をし、

冷蔵庫に眠らせる。