それなのに心臓は勝手に動いている

エッセイ、経験談、持論を綴るだけ。

人に裏切られたことなどない。自分が誤解していただけだ。

 

 

これは生まれ育った北海道から関東に移住し、1から友達を作ろうと孤軍奮闘したとある女の情けない話である…。

 

 

 

 

彼女と出会ったのは友達募集ができるとあるサイトで「同性のみ」で募集をかけたところ、メッセージをくれた子である。

 

名前はまこ。

すぐに意気投合したのでLINEを交換、お互いの予定が合う時に遊ぼうねとメッセージを交わした。

彼女と気が合うな、と思ったのは

まず文章上でのテンションが自分と合うなぁと思ったのと、クソハムちゃんスタンプを使っていたことである。

まほはクソハムちゃんが大好きなのだ。

 

クソハムちゃん

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彼女の方からクソハムちゃんスタンプを使ってきたのでめちゃくちゃ好印象だった。

同じ町に住んでおり、新しく出来たカフェに行こうとメッセージでやり取りをした。

何度か予定のすり合わせをしてついに遊べる日程を組み、当日。

 

数日前に約束をしたので当日の朝に何かメッセージを送ろうか迷ったが、やめた。

(今日遊ぶ日だね!よろしく‼️😁的な。)

 

のちに、この時メッセージを送っておけばよかったと後悔することになる。

 

当日は駅まで私が迎えに行って、

そこから私の車でカフェまで行くという段取りだった。

駅に向かう車内で、まず何から話そうかな。

メッセージではあまり何も聞いてないので

逆に話すこと沢山ありそうだな。

彼氏とかいるのかな、休みは何してるんだろう、ていうかどういうビジュアルなんだろう。とか色々考えたし、わくわくしていた。

 

そして駅に到着。そういえば駅のどこで待ってるんだろう(東口とか西口とか)と思い、

LINEを開き、メッセージを打った。

 

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しばらく経っても既読がつかないこの辺りから嫌な予感がしてきたので

通話をかけてみたがやっぱり出ず、

まぁ今になっても既読がついていないこのスクショで察したことでしょうが、

まこは待ち合わせ場所には来なかった。

 

確かめずにはいられなかったので

LINEをブロックされているか確認する裏技があるのでそれで確かめると、やはりブロックされていた。

 

その時になって初めて、そういえば約束以外の話何もしてないな、とか住んでるところ聞いても◯◯駅の近く!と濁されたりしたこととか色んなことが脳裏を過ぎって、悲しいと思う前に勝手に涙が出てきて自分でもびっくりした。

 

そのあとは相方を呼び出して、まこと行く予定だったカフェと居酒屋に行って酒を浴びました。

 

 

 

まこ、

いや、あなたは"まこ"じゃないのかもしれない。

女性ではないかもしれないし

女性であって、行く気があったけど当日に萎えてしまったか、そもそも行くつもりなど無かったのかもしれない。

どんな理由でもいい。

ブロック解除して、またLINEを送ってくれないか?

そしたらその時はまた会う予定を立てて、今度こそ会おう。ガチバトルしようじゃないか。

とりあえず会った瞬間殴っていい?

話はそれからだ。

 

 

死ねない病気

 

 

 

初めての発作は中学2年の給食の時間。

近くの人と机を合わせて

まさに「いただきます」をしようとした時だった。

もうそのあたりから意識がないのだけど、

私が椅子に座りながらもふらふらしているのに

気が付いたクラスメイトが私に声をかけようとした時

椅子から転げ落ちて額を床に打ち付けたらしい。

目が覚めた病院でそのことを聞いたのだが、

まさにその打ち付けた額がじんじんと痛むことから

その話が本当であるとわかった。

 

 

 

 

 

 

私の病気はてんかんだった。

100人に1人がてんかん患者らしい。

皆さまの身近にも

てんかん持ちの人がいるのではないだろうか。

決して珍しくない、身近で、

誰でもなる可能性のある病気だ。

冒頭のお話通り、私のてんかんは後天性だ。

 

脳に何らかの障害があったり、

生まれながらのものではなく、原因不明。

いつも通りの生活を送っていたら突然発症した。

 

 

 

 

 

てんかん発作の症状は様々だ。

意識がはっきりしている人もいれば

うつろな意識のままウロウロ動き回る人もいる。

 

私の場合は、強制シャットダウン状態。

突然意識がなくなる。

直立した状態で発作が起きれば、

手で受け身をとることもできずにそのまま床に倒れる。

 

もしも高いビルの屋上で発作が起きたなら、

私は文字通り手も足も出ずに

地面に真っ逆さまである。

 

あとは手足のけいれんや硬直。

意識はないのにガクガクと震え、

ぐっと歯を食いしばっていたり、

蟹のように口から泡を噴いて

倒れていたこともあったらしい。

 

そんな衝撃的なぶっ倒れ方なのだが、

この発作によって大事に至ることはほぼないという。

 

危険なのは二次被害だ。

ビルの屋上の例え話もそうだが、

一番よく聞くのは、車を運転しているときだ。

 

 

「アクセルを踏んだまま意識を失い、

人の列に突っ込んだ。

運転手はてんかん患者だった。」

 

 

こういう報道をみるたびに

自分も加害者になりうる身であることを痛感する。

自分1人がケガをするならまだしも、

人を殺してしまうかもしれない。

私も含め、てんかん患者は

もうほんとうに嫌というほど、

病院の先生や周りの人間にそう言われてきた。

 

 

そのため、てんかん患者が

免許の取得、免許の更新する際は

 

てんかん発作が二年以上なく、

運転をしても差し支えない」

 

という診断書を医者からもらい、

提出することが義務づけられている。

 

とはいえ車を運転する者がてんかん患者だと

やはり心証が悪いらしく、

警察署に診断書を提出に行ったとき、

受付の女の人の訝しげな顔に

『 本当に大丈夫なんですか? 』

と書いてあったのを覚えている。

 

 

 

てんかんに特効薬は令和3年現在はない。

だが、発作の度合いによって決められた

適切な量の「抗てんかん薬」を服用することにより

発作を抑えることができる。

私の場合は1日2錠。

 

てんかん薬は様々な副作用があり、

朝1錠、夜1錠を服用していた私は

特に眠気が酷かったため、先生と相談して

最近は夜2錠にしてもらっている。

 

(あとは夜更かしや生活習慣の乱れからも

てんかんの発作が引き起こされることがあるという。)

 

 

読者諸君には、どんな薬でも

用法・容量を守って使用して頂きたいのだが、

てんかん薬をうっかり10錠飲んでしまった時の記事はこちら↓

muroga.hatenablog.com

 

たった10錠飲んでしまっただけで

えらいことになるので、

薬に詳しくはないのだが、

素人目でも結構強めな薬なのかなと思う。

真似しないように。

 

 

 

(そういえば

副作用で個人的に面白かったことが一つあって、

私は朝の車での通勤の際に

毎回音楽をかけていたのだが、

たまに、半音?ワンオクターブ?低く感じる時があった。

当時はなんだろうなと思いながらも

特に気に留めていなかったのだが、

最近、それについて調べたところ、

どうやら抗てんかん薬を服用した時に起こる

原因不明の副作用らしい。)

 

 

 

 

 

毎日薬を飲むことを習慣にしていても

人間なのでどうしても忘れてしまうことがある。

私は学生の時期は特に忘れっぽく、

何度も飲み忘れてはぶっ倒れていた。

 

( 救急車のサイレンの音で目覚めては、

「救急車って車内めちゃくちゃうるせえ…」

の経験を5回以上した。 )

 

てんかん患者が自身で徹底するのは

もちろんのことだが、

周りの人が病気のことを理解し、

支えてあげる必要がある。

 

私の場合だと、例えば新規で会社に勤めてすぐに、

てんかんに関する資料を提出するようにしている。

仕事中に発作が起きてしまったときの対処法や

てんかんはこういう病気であるという説明をする。

 

あとは、私は忘れっぽいので

私が薬を飲んだか周りの人に逐一確認をしてもらう。

そうすることで飲み忘れを防止できる。

 

飲み忘れを防止できれば

倒れることはないのでね。

 

 

 

最後に、皆様の身の回りで、

(私のような完全気絶型の)てんかん患者が

発作を起こした時のための心得をお教えする。

 

 

 

 

 

・安全な場所へ移動させる。

 

てんかんは、突然やってきます。

車通りが激しい場所や、

入浴中の発作は放置すると危険なので

まずは安全の確保をしてください。

 

 

 

・まず落ち着いて観察する

 

発作が起こると驚くとは思いますが冷静に。

発作が始まった状況、時間、

どういった症状かをよく見てください。

けいれんがすぐに治まったら

とりあえず様子を見てください。

発作後は深く眠りにつくことがあります。

けいれんが5分以上続くようなら

救急車を呼びましょう。

 

 

 

・むやみに動かさない

 

発作はあなたが何かアクションをしたからといって

収まるものではなく自然に収まるものです。

大声をかけたり体をゆするのはやめましょう。

食事中の発作であれば、嘔吐をすることがあります。

その際は体を横にしてあげましょう。

窒息を防ぐことができます。

 

 

 

この3つさえ押さえれば大丈夫だと思う(多分)

私はてんかん患者の発作を見たことはないが、

私が倒れて、意識が戻るとだいたい周りで

誰かしら泣いていた記憶があるので、

結構ショッキングなことなのだと思う。

とにかく落ち着いて行動するのがいい。

発作で死に至ることはありませんから。

 

 

てんかん持ちの人間は多分、

この病気の発作によってもたらされる

迷惑を許されていない。

事故を起こすことも自分が死ぬことも

人を殺すのも、きっと許されていない。

 

薬飲め!

てんかんのひと、薬飲め!💊

 

 

 

私はもう数年発作が起きていないが、

それは薬をしっかり毎日飲んでいるからであって、

薬を飲み忘れれば必ず発作がくることを

これからもしっかり意識しながら生きていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

箱出る娘



私が小学生の頃、叔母は高校生だった。
当時の叔母は絶賛反抗期で
親の言うことなどまるで聞いていなかったし
手下である私も顎で使われ
(↑まぁこれはオーバーなたとえである)
この人間に血は通っているのか?と
何度も疑問に思ったものだ。



この間、久々(でもないが)に祖国に帰った時のこと。
叔母は今や立派に成人し、結婚し、3人の息子を育てている。
末っ子は私の顔をみるなり泣き出すのでそれを叔母がなだめる。
自分のことしか考えられず親に歯向かっていた
高校生の頃の叔母の面影はない。

子供って、いつか大人になるんだ…


冷静に考えたらこれって超すごいことだなと
今まで生きてきた中で幾度となく見てきた
まるで道端に転がっている小石のような出来事に
私はビビり散らかしていた。





「親が子供の面倒をみるのは義務である、
それができないなら子供なんか作らないほうがいいし
大学通わせるまで面倒がみれない親をもつ子供は不幸だ。」

ここまでは私が子供の考えだ。

それはそうなのだがそれにしても親ってすげえ。


大人の、
生活費やら税金やら色々やりくりしなきゃならん金のことだとか
職場では色んなストレスがあるだとか
パートナーとの関係を良好に保つだとか
そんなの子供の私は知らなかった。

蛇口をひねれば温かいシャワーがでるのは
水道代とガス代を払っているからこそなのだ。





そういえば私が小さい頃、
確かに裕福ではなかったが
食べることに不自由したことはなかった。

だがやはり子供は何も知らない。
大きな一軒家で暮らす友達の家に行くたびに
どうしてこの家に住んでいるのは私ではないんだろう、だとか
他の子よりお小遣いが少ないのが嫌だ、とか
身勝手に不自由さを感じていた。

あと学校が嫌いだし勉強も嫌いだし早くお金が欲しかった。
それゆえ高校を卒業してすぐ就職した。
早く独り立ちをしたかったのだ。
お金が欲しかった、親から離れたかった。
初任給をすべて母親にあげたのは
私はあなたよりすごい大人になったぞと
誇示したかったのかもしれない。
あなたの手なんか借りなくても
私はやっていけるんだ、と。


そんな当時の私は
自身の境遇を嘆いていた小さい頃の私から
全く成長していなかったのだな、と
今になって思う。
(第一、高卒の初任給など
たかが知れているというのに
むしろ恥を知れ当時の私よ)

自分が大人になれたのは
結局は親のおかげであったというのに。






ではいつになったら子供は
「大人」になるのか

”子供に戻りたいと願った時
既に大人である”

というのはよく聞くが
私は「自分の面倒を自分で見れるようになった時」が
大人になった時だと思う

今まで親にやってもらっていたことを
全て自分でできるようになったとき。
例えばご飯を作るだとか1人暮らしをするだとか
これらの生活するにあたって発生する出費を
自分で工面できる程度の金を稼ぐとか
正直これをできているだけで
みんな大したもんだよと言いたい。

だが更にすごいのは、自分だけでなく
子供の面倒もみるということ。
大人になるまで支えて
立派に1人立ちさせることができたなら
それはもう凄くすごい。
偉業と言ってもいい。


子供が大人になるということは
当たり前で、些細な出来事で、
誰もがそうでなければいけない

"道端に転がっている小石のようなこと"であるが
当たり前なようで当たり前にできることじゃない。







しかしなぜ私がこんな記事を書こうかと思ったのかというと
叔母の成長も然り、
私自身が今のパートナーと一緒になることを決めた時、
母とまともに初めて腹を割って話し合ったからである。

以前下記の記事でも述べたかもしれないが
muroga.hatenablog.com

私は多分他の人よりも自分の意思を抑制されていた。
その代わり私の道は母の「選択」により
いつも決まっていた。

自分で何かを「選択」したのは今回が初めてで
その時の話し合いが私の人生の分岐点だったのだ。




小さい頃から親戚のおばちゃんたちに
「箱入り娘だねぇ」とよく言われた。

「箱入り娘」の意味は
「お嬢様」、「極力他人に接触させずに
(家の中などで)育てられた娘」を指す。

一方悪い意味では
「世間知らず、一人では何もできない子供」
を指すこともある。

もちろんお嬢様ではない私は
後者の意味であることを子供ながらに理解していた。
しかし、「選択」をしなくてもいい生き方に慣れて
「これでいい」と思ってしまっていた。
私が何かしようとすると、
「本当にできるの?」と訝しげに聞いてくる母に
自信のない私は俯くしかなかった。





「自分の面倒を見れるようになったら大人」
であると同時に
私にとっての「大人になる」ということは
自分の意思を持つこと、
選択をすること、決定すること、つまり
母親から卒業すること」だった。


今現在の環境を作り上げたのは
他でもない私であり、
パートナーの協力と
母が私を認めてくれたことにある。


もちろん、母は親なので
親としての責任がある以上
私がどこで何をしていても
なにかやらかしたらその責任を負わねばならない。

でもこれから先、母の手を煩わせることは
以前より少なくなるのかなと思う。



まぁ数年経って
パートナーと大喧嘩でもして
突然実家に帰ったとしても
きっと受け入れてくれるだろう、親だから。








おわり

sauna.

 

どうも室賀です。

今回は私のサウナ活動、いわゆるサ活についてです。

 

 

最近は休みの日になると必ず行きたいと思うほどサウナにハマっています。

(とはいってもまだまだサ活初心者ですが…)

 

 

たいていのサウナ施設は、電気ストーブですが、

今回初めていくサウナ施設は薪ストーブを導入していて

セルフでロウリュ(熱したサウナストーンに水をかけて水蒸気を発生させる)

できるということで、その温泉施設に

私は浮足立って車を走らせました。

 

 

 

まずは脱衣所にあるウォーターサーバーで水を飲んでおきます。

脱水症状で倒れたら大変ですからね。

サウナの合間に水分補給するのも良いです◎

 

浴場にはいり、体を清めます。

サウナに入る前に体を洗うのはマナーですし、

髪の毛を濡らした状態のほうがいいからですねぇ

 

まずは普通に温泉に入ります。

内風呂と露天風呂両方3分ずつくらい入って体を温めます。

この施設、できて間もないので

風情もあり、清潔感があってとてもよいです。

 

身体が温まったところで、サウナ室(サ室)に向かいます。

サ室に入る前には温泉で浸かった身体を手ぬぐいで拭きます。

(私は濡れてもいい手ぬぐいと、身体拭く用の乾拭き手ぬぐい2枚持参してます)

サ室が濡れていると嫌がるお客さんが多いので

次の人が気持ちよく使えるためのマナーです。

 

 

本場フィンランドを思わせるようなログハウスのドアの横には

薪が積み上げられており、

ドアを開けると「ご自由にお使いください」と

これまた清潔感のあるサウナマットが設置されてました。

 

サウナマットを手にいざ、サ室へ。

 

ドアを開けると

正面にレンガで囲われた趣のある薪ストーブ、そしてサウナストーン。

ぎちぎちに座っても6人くらいが限界くらいの広さでしょうか、

中には先客が一人いました。

サウナマットをお尻に敷き、一段目に座りました。

二段目は暑さがダンチなので座る勇気はまだありません。

温度計をみると93℃くらい。

ちょっと物足りないかな、と思っていると、

先客の方が、これまたフィンランド感のある

木の桶に入った水で、セルフロウリュして温度調節してくださいました。

初めて見るセルフロウリュを横目に

澄ました顔した私の心の中では

「うおお、これがセルフロウリュ~~~」と

1人盛り上がっていました。

セルフロウリュができる施設は日本ではまだ珍しいのです。

 

ですがここはサ室。私語厳禁なので興奮を堪えます。

 

 

 

しばらくすると係の人が入ってきて、

薪をくべていました。

どうやら定期的に係の方が薪を追加しに来るようです。

新しい薪が追加され、BGMやTVのないサ室にパチパチと

薪の燃える心地良い音が流れ始めました。

 

 

 

 

そんな穏やかな音とは反して、

部屋の温度の急上昇を感じ、温度計をみると110℃に。

さすがにこれ以上はいられない!と10分で退出。

サ室をでたところにある椅子で5分の外気浴。

 

サ 10分

外 5分

 

これを3セットしたあたりでいい感じにととのいました

元々この施設には水風呂がなく、「ちゃんと ととのうのかな」と

内心不安だったのですが、外が寒かったのでいい感じでした。

 

 

 

(こんなご時世ですので

サ室での私語厳禁はもちろんですが

サウナ―の人々が、サ室に入っていく人の数を把握しているようにみえました。

サ室が”密”にならないように、1人1人が気を遣っているようです。

ここのサ室は狭めなので最高3人まで、という暗黙のルールがあったようです。

治安のいい施設だなぁ、と思いました。)

 

 

 

サウナでいう、「ととのう」とは

 

 

サウナと水風呂の温冷刺激によって脳内で分泌されるのが、

「β-エンドルフィン」「オキシトシン」「セロトニン」の3つの物質。

「β-エンドルフィン」は、モルヒネと同じような作用をする物質で、

鎮痛効果や気分の高揚・幸福感が得られる“脳内麻薬”です。”

 

サウナ用語「ととのう」ってどんな状態?最強に快感な「ととのう」への道 | 【マガジンど】温度に関わる衣食住についてのお役立ち情報、トレンド満載のデジタルマガジン

 

 と、記事では紹介されています。

 

 

 

私の場合の”ととのう”は、

 

頭がすっきりするような、頭の中にあったモヤモヤみたいなものが晴れて、

輪郭がくっきりと見えるように、とにかくリラックスします。

日頃からアレコレ考えているすべてのことから解放される、

頭が考えることにエネルギーを使わなくなって

省エネモードになるような感じです。

 

 

これはもう感覚の問題なので

人それぞれ認識は違えど、きっと同じような効果が

もたらされているんでしょうね。

 

 

 

以上が私のサ活レポでした。

興味が湧いたら、GO サウナ

 

サウナのマナーをまとめておくと

 

 

  • サウナに入る前に体を清め、濡れた身体をタオルで拭く。
  • タオルは絞ってから入る(床が濡れるので)
  • 水風呂に入る前に、汗は流す(水が汚くなるので)
  • サ室は私語厳禁

 

 

 

私はサウナに興味を持つまでは

サウナにマナーがあるなんて知らなかったので、

これらを押さえておけば間違いないと思います(多分)

 

なにより他のサウナ―への配慮が出来る人は

立派なサウナ―だと思います。

 

 

 

 

追伸

 

5歳女児が私でも座る勇気が出ない2段目に座っていて

度肝を抜かれました。

 

 

私の夜

毎日夜の8:00頃になると、
母がせっせと布を巻き始める。
洗濯して、柔軟剤のいい香りが漂うその布が
母の手でくるくると綺麗に巻かれ、
同じ形を成していく。
毎回それを私は傍でじっと見ていた。


当時の私は、それが何のために使われる物なのか
知らなかっただろう。
母は昼も働き、夜も働いていた。
綺麗に同じ形に巻かれていたそれは、
母が夜働いていたスナックで使うおしぼりだったらしい。

これは私が小学生になったくらいの話だ。
きっと1年生くらいだと思う。


小学生に上がる前にその時居た父は家を出て、
(詳しくはこちら)
muroga.hatenablog.com
(父は元々働いていなかったが)収入源が
母頼みになった当時は、昼も夜も働かざるを得なかったのだと思う。
(本当に感謝している。)

私もそのことはなんとなく理解していて
夜、仕事に行く母を玄関で見送る私は
まるで飼い主が出かけるのを
寂しそうに見つめる子犬のように母の目には映ったであろう。
だが、そういう子犬は大抵、
飼い主が出かけた瞬間に先ほどの寂しそうな目はどこへいったのか、
と言いたくなるほどに部屋を荒らしたり好き勝手行動するものだ。

夜の時間こそ私だけの時間。
私もまた、そんな子犬のように
もう好き勝手にしていた。
夜なのにお菓子を食べたり
夜なのにアニメを観る。
特にジブリが好きで
となりのトトロ魔女の宅急便紅の豚等。
毎晩毎晩毎晩、同じビデオテープをローテーションで再生し、
その画面を食い入るように見ていた。




ある頃から私の夜に変化が起こる。
いつからか、なぜそんな行動をするようになったのか、
よく覚えていないが、
私は夜の徘徊をするようになった。
帰れなくなったら困るので自分の家の周りを
人目を避けるようにしてうろうろと
特に目的もなく、ただ長い長い夜の暇つぶしとして。
当時私の家の近くに、ケーキ屋がありました。
家の周りは住宅街でしたから、
街頭と、自動販売機と、ケーキ屋の光だけが
目に入ってくる情報のすべてで、
ケーキ屋の室外用殺虫機(ライトでおびき寄せて感電して虫が死ぬ装置)に虫が寄ってはバチバチと鳴る音が静かな夜に、しかも小さい子供が深夜徘徊しているそのうしろめたさにひどく響いたことは今でも鮮明に覚えている。


夜も更けると、ケーキ屋は店じまいして
あたりの夜の色はますます深くなった。
犬の散歩をする人やランニングをする人。
昼間ならなんとも思わないことにも敏感になって
私は影に身を隠したりした。


ある時、道路の淵を歩いていると
前方から眩しい光と一緒に女性が声をかけてきた。
車に乗った女性は1人でとぼとぼ歩く私に
助手席の窓を開け、

「どうしてこんなところを歩いているの?」

「歩いていたら迷子になった」

今考えてみると、いや、当時の自分でも
答えになっていないな、と思ったであろう。
でもそう答えるしかなかった。


車にはあと二人ほど男女が乗っていて
その人たちは私の母の知り合いだと言った。
母の元へ連れて行ってあげるから、と
言われるままに車に乗り込み、
確かに母の職場の方向へ向かう車の中で
母になんと言ったらいいものか、と
そればかりが頭の中でぐるぐるしていた。
(ちなみに誘拐など全く考えもしなかった)


母の職場に到着すると既に連絡を受けていたらしい母が待ち構えており、
車は私を降ろすなり、すぐに走り去っていった。
私はと言うとまあこっ酷く怒られた。
昔から表情の変わらない私は
母からすれば反省しているようには見えなかったであろう。
怒っているはずの母は泣いていた。


次の日から母は夜の仕事に行かなくなり、
私の夜は訪れなくなった。



十数年経った今、私は一人暮らしをしている。
夜は自由だし何をしてても怒られない。
でも、あの頃のように深夜徘徊はしていないのだ。
あれほど焦がれた夜の外に私はもう行かない。
スマホを開けばインターネットがあって
動画も音楽もゲームもできる。
幼稚園児ですらゲームや動画に釘付けだ。
色んなものが普及した現代に、
夜の散歩の楽しさが勝ることはないのだ。

あの頃の人目を避けてうしろめたさを感じながら徘徊するあのスリルは確かに胸の奥がウズウズするほど、楽しかったのだ。
今ほど便利じゃなかったあの頃に置き忘れたなにか。


街頭や自動販売機やケーキ屋の光しか
目に入らない何も知らない者はもういないだろう。

私もまた、現代の流れに流された漂流物の一つだ。
現代社会の恩恵と引き換えに何か大切なものを
失ったように感じてならない。

冷蔵庫に眠らせる。

 

 

定時きっかりで帰り支度をし、タイムカードを押す。

靴を履きながら雑に押されたカードには「17:06」と印字されている。

玄関の扉を開けると労働の呪縛から解かれた解放感とは相反して

一月は冷たい空気だった。

いそいそと帰宅する途中にあるセイコーマート

週2くらいで通うそのセイコーマートに入店する私はもはや導かれているように思えた。

 

私はここでいつも「安らぎ」を買っている。

大した量買わないのにかごを持ち、一直線でアルコール飲料のコーナーへと向かう。

黒いからだにまとった金色にきらきら輝くそのラベルには

「DANTI」と書いてある。

これが、私が最近ハマっているスパークリングワインの「ダンチ」である。

本来は「ダンティ」と読むのだろうが、

私はふざけて「ダンチ」と呼んでいる。

 

 

1人暮らしの家に帰ると冷えた部屋が出迎える。

ストーブを付け、洗濯ものを洗濯機にぶちこみ、すぐシャワーを浴び、

浴室から出るころには部屋が温まっている。

晩御飯を作りながら合間に洗濯ものを干す。

自称「効率厨」の私のルーティーンである。

これらはすべて晩御飯とともに頂く「ぽしゃけ」(お酒)の為だ。

 

晩御飯の用意が出来たところで

プラスチックでできた金具を慣れた手つきで外し、

コルク栓を回しながら上へ引っ張ると

ぽんっといい音をたてて抜ける。

これがぽしゃけぱーてぃーの開幕の合図である。

 

とはいってもばかばか飲むような飲み方は休日の前の日にするものであって、

こんな平日の日は瓶の半分くらい飲んで

あとは次の日にとっておくのが嗜みというもの。

一日経って炭酸が少し抜けたダンチは炭酸で紛れていたアルコールが

前日よりも強く感じることができてこれはこれでいいと気づいたからである。

(ダンチに香りはあまりないので香りが削がれるという心配もない)

アルコール度数は11%なので瓶の半分でもほろ酔いで眠りにつくには十分だ。

ばかほど飲めば記憶がなくなったり情緒が不安定になって

楽しくなったり悲しくなったりする。

だが、自分の中の「適量」さえおさえてしまえば、

その日一日、自分の頭を駆け巡った様々な感情が無に還る。

ぽしゃけぱーてぃーが、一日の「リセットタイム」になるのだ。

大体お酒を飲むと何も手につかなくなるので

自然と体は布団へ誘われすぐに眠れる。

これがアラサー女のしがない一人暮らしの全貌である。

兎にも角にも、今日を終えようとしている私は

明日の私にバトンを渡さなくてはならないのだ。

明日の私が苦しくならないよう、今日も私は半分まで飲んだダンチを

百均で買ったワインボトルキャップで蓋をし、

冷蔵庫に眠らせる。

 

 

 

 

命短し働け乙女

 

どうも室賀です。

今回は社会に出て知った2つの恐ろしい話

をあっさり簡潔にお話します。

 

 

会社の上司が「あの人、引導を渡されたらしいよ」とほかの人と話していたのを耳にして

 

引導を渡すってなんだ?

と疑問に思ったので聞いてみた。

 

 

 

引導を渡す

 

「引導を渡す」と言っても何かを渡されるわけではない。

会社で少し問題を起こしていて

会社側がいつまでも雇うメリットが無いと

判断し、

「あなたの今後のためにも会社を辞めた方がいいのでは?」と、最終宣告をすることらしい。

要は退職勧奨。

 

「印籠を渡す」と間違える人も多いが、

間違いであって、間違いではない。

水戸黄門が「この印籠が目に入らぬか」

と、悪人どもにかざすが、

実はこれが「引導を渡す」の由来なのである。

 

「引導を渡す」の意味・由来・使い方・例文4つ・類語-言葉の意味を知るならMayonez

 

私は今まで「引導を渡す」なんて聞いたことも

無かったので、そんな恐ろしいことがあるのかと、内心ビビっていたが、もう1つ、恐ろしい書類がある。これは私が実際に名前を書かされたものだ。

 

 

 

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念書

 

 

はて、私が何ゆえこの様な紙切れに名前を

書かねばならないのか些か理解が出来ないな…

(心当たりはある)

 

これは、

就業規則に反した行為をした際に書かされる

「もしも会社を辞めさせられるようなことになっても異論はありません」という

会社と本人との契約みたいなもの。

現代社会ではリストラなんざよくあることだが

事前に本人に忠告はしました、という

証拠が書面で残るので、

いざ辞めさせるときに事務的に

辞めさせやすいのである。

 

ちなみに念書は2枚に署名する。

会社と本人がそれぞれ1枚保管するのが決まりだ。

 

 

とまぁ、自分の身に振りかかってくると

ドキドキハラハラしちゃう2つの恐ろしい話でした。

(実際に念書は書かされたので胸がきゅっとなりました。)

 

念書を書かされた今、

次は「引導を渡される」のかもしれないーーー。

 

おわり