この記事を書いている今、約1年ぶりの缶チューハイ氷結無糖を飲んでいるのだが、あれだけ毎日のように飲んでいたのに全く好みじゃなくなっていた。
1年禁酒の理由は妊娠と出産であった。
以前まで子供は欲しくない派だった私は、自分の悪しき遺伝子の入った子供を作る気には到底なれなかった。
それに子供が出来れば自分の時間なんてなくなるし子供中心の人生になる。出産時の痛みもそう、想像を絶するほどの痛さなんだろう。
そもそも自分に子供を育てられるのか。
夫は最初から子供を欲しがっていたが、こういう言い方は本当に良くないけど私には子供を作るメリットがわからなかった。
「こういうのはメリットとかじゃなくて、感情の問題だよ。子供がいると楽しいだろうな、とかさ。」夫は言うが決め手に欠けた為私は「いらない」の一点張りだった。
出産を決めた理由
理由は3つだ。大した理由ではない。
1つ目は先程も言ったように夫が子供を欲しがっていること。
2つ目は高齢出産のタイムリミットが迫っていること。来年再来年の話ではないが私ももういい歳だし、年取れば取るほど様々なリスクが出てくる。出産するのなら若いうちにと思ったし、子供を作らず適齢期を過ぎてやっぱり作っておけばよかった…と後悔するのが嫌だったから。
3つ目は年を取って死ぬ時、私か夫、必ずどちらかが先に死んでどちらかが残される。その残された時に自分たちの後始末をしてもらう為だ。
この3つ目が私が見出した子供を作る最大のメリットである。
私は葬儀屋で勤めていて、独身の孤独死や子を成さずに亡くなった人の最後を何度も見てきた。その後始末は故人に妹や弟がいなければ少し遠い親族(甥や姪が多かった)が執り行う。そこまで故人に思い入れもないし最近まで会ってすらいなかった為に火葬式(通夜、告別式なしの火葬のみ)で済ませるのがほとんどだった。
喪主は面倒事を押し付けられた、という顔だ。
それはお金の問題ではなく、死に於いて発生する様々な手続き、処理などの後始末が面倒なのだろう。
私は死んだとしても誰かをそんな目に遭わせたくない。
いや、というよりも誰かに迷惑をかけたくない。自分の後始末を誰かに嫌々されたくない。
これが一番の理由だ。
(もちろん実の子供でも私たちの後始末をしてくれるとは限らない。その時は諦めよう。)
人生は満足して死ぬためのゲームなのだから、死ぬ時の準備をしておくのは当たり前だ。私にとって満足して死ぬために子供が必要だっただけで、別に子供がいなくたって結婚していなくたってパートナーがいなくたってそれ以外で満足して死ねる人もいるんだろう。孤独死したあの故人だってもしかしたら納得のいく最期だったかもしれない。それは絶対に否定はしない。人には人の死があるのだから。
妊娠編
出産方法は細かく色々あるが大きく分けて3つ。
自然分娩、無痛分娩、帝王切開だ。
元々出産の痛みが怖くて子供作るのを渋っていたこともあるので無痛分娩を選んだ。
会社の先輩が「子供はお腹を痛めて産むべき」とかなんとかぬかしおるが、うるせえ、産むのは私だ。
ただ私の産院は計画無痛分娩のみ取り扱っていたので仕方なくそれにした。
計画無痛分娩とは、分娩日をあらかじめ決めてその日に麻酔を打ち出産するということ。
そもそも出産というのは陣痛がきてお産に至るわけだが、その陣痛はいつ来るのかわからないのだ。計画無痛はあらかじめ決めた分娩日を待たずに陣痛が来てしまった場合無痛の処置をしてもらえず、普通に自然分娩で産まなければならないのだ。
そして自然分娩でも無痛分娩でも、母体が危うくなれば帝王切開となる。
つまり、無痛分娩を選択したが、自然分娩にも帝王切開にもなり得るのだ。
何がなんでも無痛分娩で産みたい私は妊娠中、重たい身体を引き摺って公園を毎日散歩した。
1日8000歩を目標に時にはイオン散歩したり、ヨガやストレッチしたり出産についての知識やTwitterでマタニティアカウント(通称マタ垢)のママ達の出産レポートを読みまくり、できる努力は全てやり尽くした。
その甲斐あって分娩日まで陣痛が来ることなく、無事にお産に漕ぎ着けたのであった。
ちなみに大したつわりはなかった。ただ食欲が本当に凄くて2人分食べているのを実感した。お酒が飲めない代わりに甘いものに走った為体重はみるみる増えていき、出産を迎える頃には11キロ増となった。(デ、ブ)
出産編
分娩日の前日入院し、子宮頸管拡張(ラミナリア)の処置を受けた。
前日から子宮口を徐々に開けていくのだが、子宮口を器具でカチ開けてそこにタンポンのような形状のラミナリアを5本入れる。それが血液や体液で膨らんで子宮口が開いていく仕組みになっている。その時はまぁ耐えれる痛さではあったが同日夕方、既に5本ぶっ刺さっているところに追加で5本。合計10本となり、私はというと追加のラミナリアが痛すぎて痛すぎて、昼までは若干出産ハイになっていたがテンション爆下がりで動くのが辛く、病室のベッドで打ちひしがれていた。その後トイレに行くと便器は真っ赤に染まっていた、泣いた。あとからわかった事だが、この時少し破水していたらしい。
次の日ついに出産当日!ラミナリアの激痛処置により子宮口は4センチ開いており順調とのこと。ちなみに子宮口は10センチ開くまで産めないのでなんとしても開かなくてはいけないのだ。
LDR室に移動する。LDR室とは、「陣痛・出産・回復」の頭文字をとったものである。その全てをこの部屋で完結させるわけだ。昔は病室で陣痛に耐えて、産まれそうになったら分娩室へ移動していたらしい。会社の先輩は、病室で浣腸をしてそのまま分娩室まで歩いたがために道中でうんち垂れ流してたらしい。いきむ時にうんちが出ないように事前に浣腸をしていたらしいが、今はそれもない。昔と今いろいろ違うんだねえ。
LDR室の真ん中にはベッドがあり、部屋はかなりリラックスできる雰囲気。ポムポムプリンキーホルダーとかテーブルに広げてはしゃいでた。
その後陣痛促進剤やら抗生剤やら打たれ、じわりじわりと陣痛がやってきた。そろそろ痛いかもと思ったあたりで麻酔して〜と懇願。
麻酔科の先生がきた。カッコイイ女医。私はベッドの上で横向きにダンゴムシのように背中を丸めて腰に「麻酔の麻酔」を打ってもらう。腰に麻酔とかクソ痛そうだけど全く痛くなかった。というか陣痛の方が痛かった。そして無痛の麻酔を打ってもらうと背中をひんやりした液体が通過していくのを感じて陣痛で暑くなっていた為うっかり気持ちよくなってしまった。
無痛の麻酔が効いてくると先程までの陣痛は全く感じなくなった。その後内診され、子宮口は5〜6センチとのこと。この内診というやつもママ達の出産レポでよく「痛いとされている処置」の1つだったが、全く痛みを感じなかった。普通にお喋りする余裕すらある。それから順調に子宮口は開いていき、次第に腰の痛みを感じてきた。これは麻酔でどうにかなるやつではない。赤ちゃんが骨盤を通るために骨盤が押され、動いている痛みだ。ここでテニスボールくん登場。こういう時は今も昔もテニスボールくんに皆頼る。立ち会いしてもらっている夫に腰をテニスボールを使って押してもらうと少し楽になった。陣痛には波があるので陣痛がきたであろうタイミングで腰も痛み出すのでそこで「はい押して!!」と合図を出す。冷静になると少し面白いけど現場はみな真剣そのものである。
しばらくすると「いきみたい」感覚が出てきた。うんちが出口まできていて踏ん張りたいみたいな感覚に近い。いきみたいというか、いきまずにはいられなくなる。勝手に力が入る。かなり赤ちゃんが下まできている証拠である。この時子宮口9センチ。「進みが早いね〜」と話している間に子宮口10センチ。いわゆる『全開大』だ。
それまで3、4人だった助産師さんの数が一気に増え、いつの間にかベッドは分娩台に変形していた。すげえや。陣痛で腰が痛くなったタイミングでいきむ。そのタイミングは私に繋がれた機械でもわかるのだが「陣痛きます!」の私の合図で私がいきむ、助産師さんたちが応援する、夫も横で応援する、の構図になっていた。
分娩台の上でお股おっぴろげで助産師さんたちに囲まれてて今考えると少し恥ずかしいが、出産を目前にするとなーんにも恥ずかしくないし、むしろ私のお股大丈夫!?確認してーーー!!という気持ちだった。一生懸命だった。
陣痛の波が過ぎると力を抜いて休憩、陣痛がきたらまたいきむ。5回いきんだあたりで「もう頭見えてますよ〜」と言われ次のいきむときには「会陰切開師」(私が名付けた)がクソデカハサミを手にスッと現れた。調理用ハサミの1.5倍くらいの大きさだろうか。おもむろに私の股にハサミを近づける。私の視点からは見えなかったが、「ジャキッ」という音と切られた感触だけがあった。会陰は赤ちゃんが通る最後の門。そこを切開してスムーズに通れるようにするのだ。メスでは切ったところから裂けてしまったりするらしくハサミのほうが適切に処置できるようだ。無痛の麻酔のおかげで痛みはなかった。それよりもいきんでいる時の方が痛い。陣痛の波が来て6回目のいきみのタイミング。これが最後のいきみだろうとめちゃくちゃ力を入れる。こーれが本当に痛い。流石に出産で1番痛かったかもしれない。出したくて力を入れるのに力を入れると痛くなる。気がつくとLDR室は7、8人の助産師さんたちがいて私のいきみに合わせて「もう少し!」「頑張って!」となんだか団結力あっていいねえこの空間…と必死にいきんでいる私とは別の冷静なほうの私はそんなことを思っていた気がする。
突然痛みが無くなって何かが身体から抜けていったと思ったら産まれていた。「産まれましたよ〜!」「頑張りましたね〜!」と助産師さんたち。…産まれた時って産声が聞こえるよなぁと思っていたら少ししてから「ホギャ」と聞こえた。とても控えめ。おしとやかな子だ。
赤ちゃんが色々処置されたり、会陰切開師がすぐさま切開した会陰を縫合している間もなんだかぼーっとしていて眺めているだけだった。
正直感動はない。痛みもないけれど身体は疲れ切っていた。
隣で立ち会いしてくれていた夫は「産まれたのに感動で泣くみたいなの無いんだ…?」と後日言っていた。
私は初産にしてはお産の進みが早く、4時間ちょっとで出産に漕ぎ着けたエリート安産でした。小柄なので2日かかる覚悟をしていたが拍子抜けだった。
あと、赤ちゃんの顔を見たら感動で痛かったことを忘れるというのは嘘。なぜその様にママ達が口を揃えて言うのかと言うと、それを言うのはいつも後日。そう、普通に出産の痛みを忘れているのだ。私もそう、あれだけ痛かった記憶はあるのにどのように痛かったかあまり思い出せない。もしもママ達が出産の痛みを鮮明に覚えていたら子供を二人、三人と作らないだろう。
私自身かなり痛みに弱い自覚があった為無痛分娩でやってよかった。
産後編も書きたいが長すぎるのでここまでにしておく。気が向いたら続き書きます。































