それなのに心臓は勝手に動いている

エッセイ、経験談、持論を綴るだけ。

抑制された自我の解放

私がODして入院した3日後が私の誕生日でした。

母の誕生日も近かったので私の病室で

2人でケーキを食べながら会話してた時のこと

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「室賀は小さい頃から今までずっとママの言うことに従ってきて自分の意思がなかったから、

これからは自分のやりたいことをやりなさい。」

 

「仕事で嫌な人がいたら我慢しなくていいって言ったら室賀は『どの会社もそんなのあって当然だよ』って言ったよね?それはママが今まで室賀に言ってきたことだよ。お前はずっとママの暗示にかかってたんだよ。」

 

「酒や薬に頼ってしまうほど辛いなら会社を辞めて少し休んだら?」

 

今までの流れとは違った諭され方をして

私は少しびっくりした。

…まぁ今回ODしたのは会社は全く関係ないので的外れといえばそうなのだが、

私が小さい頃から意思を抑制されていたのは確かだ。

私には反抗期が無かった。

反抗しても無駄だと思っていたし

反抗するほどの意志の強さもなかった

自分の気持ちを伝えたこともなかったから

「今でも何を考えているかわからない」、

「隔たりがある」

と、母の本音を初めて聞いたのだった。

 

 

私としては正直、

今まで親の意向に従ってきたので

道はいつも示されていた。

こうしたら、こうしなさい、と、

その生き方は自我を持つ必要がない楽な生き方だったのだ。

「選択」を提示し、「決定」するのはいつも母だった。

突然、その「決定」を自分がしなければいけなくなるなんて

私には酷く心細いことに感じた。

母は私を支配したがっていたが、

私は結局、それに甘えていたのだ。

それが一番楽で、「責任」が伴わなかったから。

 

もちろん母の意向でなくても、自分で決定することが全くなかったわけではない。

その時は「自分がこうしたいから」ではなく

「こうするのが最善」を選んできた。

どちらにせよ、自分の意思、自我がどこにもなかった。

これから先、生きてる中で選択をする場面がたくさんあるだろう。

私は「こうしたいからこうする」が出来るのか不安で仕方ない。

自我ってなんなんだ。

 

 

 

 

(最後までまとまらなかった)