それなのに心臓は勝手に動いている

エッセイ、経験談、持論を綴るだけ。

私の夜

毎日夜の8:00頃になると、
母がせっせと布を巻き始める。
洗濯して、柔軟剤のいい香りが漂うその布が
母の手でくるくると綺麗に巻かれ、
同じ形を成していく。
毎回それを私は傍でじっと見ていた。


当時の私は、それが何のために使われる物なのか
知らなかっただろう。
母は昼も働き、夜も働いていた。
綺麗に同じ形に巻かれていたそれは、
母が夜働いていたスナックで使うおしぼりだったらしい。

これは私が小学生になったくらいの話だ。
きっと1年生くらいだと思う。


小学生に上がる前にその時居た父は家を出て、
(詳しくはこちら)
muroga.hatenablog.com
(父は元々働いていなかったが)収入源が
母頼みになった当時は、昼も夜も働かざるを得なかったのだと思う。
(本当に感謝している。)

私もそのことはなんとなく理解していて
夜、仕事に行く母を玄関で見送る私は
まるで飼い主が出かけるのを
寂しそうに見つめる子犬のように母の目には映ったであろう。
だが、そういう子犬は大抵、
飼い主が出かけた瞬間に先ほどの寂しそうな目はどこへいったのか、
と言いたくなるほどに部屋を荒らしたり好き勝手行動するものだ。

夜の時間こそ私だけの時間。
私もまた、そんな子犬のように
もう好き勝手にしていた。
夜なのにお菓子を食べたり
夜なのにアニメを観る。
特にジブリが好きで
となりのトトロ魔女の宅急便紅の豚等。
毎晩毎晩毎晩、同じビデオテープをローテーションで再生し、
その画面を食い入るように見ていた。




ある頃から私の夜に変化が起こる。
いつからか、なぜそんな行動をするようになったのか、
よく覚えていないが、
私は夜の徘徊をするようになった。
帰れなくなったら困るので自分の家の周りを
人目を避けるようにしてうろうろと
特に目的もなく、ただ長い長い夜の暇つぶしとして。
当時私の家の近くに、ケーキ屋がありました。
家の周りは住宅街でしたから、
街頭と、自動販売機と、ケーキ屋の光だけが
目に入ってくる情報のすべてで、
ケーキ屋の室外用殺虫機(ライトでおびき寄せて感電して虫が死ぬ装置)に虫が寄ってはバチバチと鳴る音が静かな夜に、しかも小さい子供が深夜徘徊しているそのうしろめたさにひどく響いたことは今でも鮮明に覚えている。


夜も更けると、ケーキ屋は店じまいして
あたりの夜の色はますます深くなった。
犬の散歩をする人やランニングをする人。
昼間ならなんとも思わないことにも敏感になって
私は影に身を隠したりした。


ある時、道路の淵を歩いていると
前方から眩しい光と一緒に女性が声をかけてきた。
車に乗った女性は1人でとぼとぼ歩く私に
助手席の窓を開け、

「どうしてこんなところを歩いているの?」

「歩いていたら迷子になった」

今考えてみると、いや、当時の自分でも
答えになっていないな、と思ったであろう。
でもそう答えるしかなかった。


車にはあと二人ほど男女が乗っていて
その人たちは私の母の知り合いだと言った。
母の元へ連れて行ってあげるから、と
言われるままに車に乗り込み、
確かに母の職場の方向へ向かう車の中で
母になんと言ったらいいものか、と
そればかりが頭の中でぐるぐるしていた。
(ちなみに誘拐など全く考えもしなかった)


母の職場に到着すると既に連絡を受けていたらしい母が待ち構えており、
車は私を降ろすなり、すぐに走り去っていった。
私はと言うとまあこっ酷く怒られた。
昔から表情の変わらない私は
母からすれば反省しているようには見えなかったであろう。
怒っているはずの母は泣いていた。


次の日から母は夜の仕事に行かなくなり、
私の夜は訪れなくなった。



十数年経った今、私は一人暮らしをしている。
夜は自由だし何をしてても怒られない。
でも、あの頃のように深夜徘徊はしていないのだ。
あれほど焦がれた夜の外に私はもう行かない。
スマホを開けばインターネットがあって
動画も音楽もゲームもできる。
幼稚園児ですらゲームや動画に釘付けだ。
色んなものが普及した現代に、
夜の散歩の楽しさが勝ることはないのだ。

あの頃の人目を避けてうしろめたさを感じながら徘徊するあのスリルは確かに胸の奥がウズウズするほど、楽しかったのだ。
今ほど便利じゃなかったあの頃に置き忘れたなにか。


街頭や自動販売機やケーキ屋の光しか
目に入らない何も知らない者はもういないだろう。

私もまた、現代の流れに流された漂流物の一つだ。
現代社会の恩恵と引き換えに何か大切なものを
失ったように感じてならない。